昨日、仕事の関係で「設計管理」の勉強会に出席していた。

この会は「関西設計管理研究会」と言う会で、私も昨年から会員になっている。
非常に有意義な会である。

昨日、この会の例会である方が紹介してくれたブログ。

「想定外」は工学では最も重い罪:   望湖庵日記

(以下、一部抜粋)

しかし,工学ではそうはいきません.工学はあくまでも実用の学です.私たちが生活する日常空間で,技術的にも経済的にも成立するモノを作り上げ使用していく,というための学問です.基本的な性能を発揮するための "定格条件" がまず想定され,その条件で技術や経済性が成立することが検証されます.その次に行われなければならないのは,"非定格条件" でのモノの振る舞いが,重大な影響を及ぼさないように,さまざまな対策をモノに内包させる,あるいは外部の補機にその機能を付与する,という設計が必要になります.

ここで難しいのは,対策を取る "非定格条件(事象)" の範囲をどこまで拡大するかです.この範囲を広く取りすぎると,対策には莫大なコストがかかり,工学的なモノは設計できなくなります.一方,範囲を狭く取りすぎると,モノの設計寿命内に "想定外" の事象に現実に遭遇し,重大な影響を使用者や外部に与えてしまうことになります.

注意しなければならないのは,非定格条件(事象)を "想定する" ことと,そのための "対策をとる" ことは異なる概念だということです.想像力を働かせれば,想定の範囲はいくらでも広げることができます.しかし,現実にどこまで対策を取るかは,コストを考慮せざるを得ません.従って,工学的にはいくつかのシナリオに分かれます.

1.事象を想定し,影響を評価し,対策を取る
2.事象を想定し,影響を評価するが,十分な対策は諦める
3.事象を想定するが,影響を十分に評価できないため,最大限の安全係数をもって対策とみなす
4.事象を想定するが,影響を評価できず,対策も取らない
5.事象を想定せず,対策も取らない
このとき,工学で許されるのは(1)(2)(3)までであり,(4)(5)は工学では許されない,と私は考えます.後半の二つは技術者倫理に抵触し,職業上の罪であると思います.特に(5)は最悪の罪で,想像力の欠如,あるいは思考停止,あるいは無能,などという侮蔑的なラベルを張られても仕方がありません.

まさに、今回の「原発」の問題こそ、これにあてはまるのではないだろうか。

そして、最後の方でこう書いている


このように考えを進めていくと,日本の原子力工学や原子力行政がいかに狭い範囲に限定して "想定" を行ってきたかがわかる一方,シナリオ(2)を取らざるを得ない場合も多く,社会的合意をどのようにとっていけばよいのか,試行錯誤が必要な課題も多いと気づかされます.いずれにせよ,効用とリスクを天秤にかけた場合,万全の対策というのはあり得ず,必ずリスクをはらんでいるということを,行政当局は周知させる必要がありますし,市民の側にも覚悟が求められることは明らかです.



至言である。
東京電力は、まさにこの「工学」の世界で、最も重い罪を犯した訳である。

本来、「日本のものづくり」はもっと世界に誇れるものであった。
まあ「電力」を「ものづくり」と定義をするのは難しい側面はあるが
彼らは「安全」と言うものを「一番」に
考えてきている立場であるはずなのに・・・・・

こう言った側面からも、「地震」の影響とは言い難い「人災」的な部分を感じざるおえない。
「ものづくり」「人づくり」 もう一度、「原点」から出直す時が来ているようである。

最後は、「人」ががんばるしかないのだから・・・




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