(以下読売新聞から)

東日本巨大地震の発生後、菅首相が自ら一方的に発表する時以外、メディアの取材や国会答弁など表舞台に姿を現さない状態が続いている。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故に専念するのが理由とされるが、首相のリーダーシップが見えない現状に、関係者から不満の声も出ている。

 枝野官房長官は23日の記者会見で、「(首相は)慌ただしく過ごしている。表に見える形で動くことがリーダーシップとして効果的な場合もあるが、多くの場合は、必ずしも目に見えるものではない」と首相の仕事ぶりを説明した。

まあ、でしゃばりすぎて視察に行くよりはましなんだろうけどね。
それにしても、自分の描いていた「菅直人像」とあまりにもかけ離れていて納得できない。

(以下ウィキぺディアより)

学生運動家時代 宇部市立神原小学校、琴芝小学校、神原中学校を経て、山口県立宇部高等学校へ進学。高校2年生の夏、父の転勤に伴い菅一家は東京都三鷹市に引っ越した。東京都立小山台高等学校2年に編入し、卒業。

東京工業大学理学部応用物理学科(現・物理学科)に入学。在学中は学生運動にのめり込んだ。全共闘や民青からは一線を画した「全学改革推進会議」を立ち上げ、リーダーとして活躍した。

大学紛争の影響で卒業研究が出来なかったため、紛争が収まった後できちんとやりたいとの自身の意向により一年留年。1970年に東京工業大学理学部応用物理学科(現・物理学科)を卒業。

弁理士時代 技術者であった父から、会社内での技術者に対する不遇を聞かされており、本屋で見つけた弁理士の本で関心を持ち、有名企業に就職しても「自分の将来・先が見える等」の理由から弁理士を志す。 弁理士という職種を選んだのは、「社会運動に関わりたい、そのためにはあまり拘束されない自営できる道を確保したい」というのが最大の理由だった。

卒業後は小田島特許事務所に就職。在職中に弁理士資格を資格を取得して独立し、「菅特許事務所」を開設する



ここまでは、政治家になる前の経歴だが、「市民運動家」としての意識が垣間見られる。

その後、何度かの落選を経験して、ようやく代議士になった。
志のある、政治家であると私は認識していた。しかし・・・

政治家としての彼の経歴に今さら、くどくど述べても意味がないと思い割愛させて頂く。

それにしても、この場に及んで、「視察」でしか、存在感を示すことができない菅総理は
まさに「政権」の「末期的」症状なのだろうね。

でも、今こそ、そんなことを言っても仕方がない。
「非常時」であればこそ、現政権に頼るしか方法はないのである。

小沢氏との政争で私も「消去法」で菅を支持することに一定の評価をしてしまった。
しかし、それは大きな間違いであったのか。

この間違いを「そうでなかった」と納得させるリーダーシップを彼に求めることは
もはや、不可能なのか?

ああ、悲しいよ「市民政治家、菅直人よ」・・・・・




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