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第十四回上方演芸の殿堂入り 桂米朝 特別展 byワッハ上方

出張の折、夕方難波に来ていたので、「ワッハ上方」へ。

お目当ては「桂米朝 特別展」

ワッハ上方では、開館以来、上方演芸の発展と振興に大きな役割を果たし、広く府民から愛され
親しまれた人で後進の目標となる人を選考し、その「芸」と「人」を後世に伝える「上方演芸の殿堂入り」
表彰を実施しており、平成21年度「第十四回上方演芸の殿堂入り」として、桂米朝氏の表彰を
決定しました。 

今回、その記念展示におじゃましました。

展示内容の概要は以下

高座の写真(宮崎金次郎氏撮影)やポートレート、著書や直筆色紙、楽屋のれんや手ぬぐいなどの関係資料に加えて、朝日放送『和朗亭』や関西テレビ『とっておき米朝噺し』など懐かしい映像、ラジオ大阪『落語特選』の貴重音源など、ワッハ上方演芸ライブラリーの秘蔵映像・音源も楽しめる。

米朝一門の ざこば 南光 米二 米團治 などのお祝いの言葉も映像で(笑)

大変、「見ごたえのある」展示会であり、米朝師匠の「人となり」を充分楽しませて頂きました。
無料の、DVD貸出閲覧コーナーでは、「骨つり」と「まめだ」を拝見しました。

さて、三代目桂米朝師とは

(以下ウイキぺディアより)
来歴 [編集]
1925年、関東州大連普蘭店(現中華人民共和国遼寧省大連市普蘭店市)に生まれた。4歳の頃に奉天(現瀋陽)ヘ転居。1930年に、祖父の死去に伴い、父が神社(九所御霊天神社)の神主を継ぐため一家で姫路へ帰国した。米朝自身も上京前に周囲の勧めもあり、神主の仮免状を取得している。

幼少時代から落語や浪曲に親しみ、父や演芸好きの叔父に連れられて西花月亭や南地花月にもよく通っていた。

1943年、大東文化学院(現大東文化大学)進学のため上京。在学中、作家であり落語・寄席研究家でもある正岡容(蓉)(まさおか いるる)主催の珍しい落語会を見たことを機に正岡に入門。正岡一門の一番弟子となった。正岡を通じ5代目笑福亭松鶴や、大阪の映画館主の息子であった矢倉悦夫と知り合いとなった。

1944年2月の応召直後病に倒れ、病院で終戦を迎えた。この頃、橘ノ圓都が慰問で病院に訪れ出会うことになる。大学には復学せず、神戸市で会社員となり一介の落語愛好家として落語会や素人落語の上演会を主催するなど、上方落語復興に力を入れていたが、矢倉が3代目桂米之助となったことが縁で後に師匠となる4代目桂米團治に教えを請う機会が生じた。

やがて師正岡の「いまや伝統ある上方落語は消滅の危機にある。復興に貴公の生命をかけろ」との言葉を受け、本格的に落語家を志すようになり、1947年9月に会社勤めをしながら米團治に入門。3代目桂米朝を名乗る。一旦勤めを辞め米團治宅の内弟子となるものの親戚から叱責を受け、姫路市内の郵便局員として1年ほど勤務した。その後師米團治の死に遭い、落語のみに精進する事を決意する。


戎橋松竹でデビュー後、長年千土地興行(後の日本ドリーム観光)に所属し、千日劇場を本拠に道頓堀角座やうめだ花月に出演したが、1968年3月以降はフリーとなり、ホール落語を中心に活動するようになる。1974年、千土地時代の担当マネージャーを社長に据え芸能事務所米朝事務所を設立。現在一門の多くがここに所属する。

1960年代頃からは、放送タレントとしても『ハイ!土曜日です』、『お笑いとんち袋』(関西テレビ)や『味の招待席』、『和朗亭』(朝日放送)など多数の番組に出演して大人気を博した。

一方で、落語研究家としても活動を行い、一度滅んだ噺を文献から発掘したり、落語界の古老から聴き取り調査をして多数復活させている。彼によって復活した演目としては「算段の平兵衛」「風の神送り」「矢橋船」「けんげしゃ茶屋」などがある。

入門当時には衰微を来たしていた上方落語の復興を願い、共に上方落語四天王と讃えられた6代目笑福亭松鶴、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)、3代目桂春団治らと東奔西走して尽力した。現在の上方落語の隆盛は米朝・松鶴らの功績であるというのが衆目の一致する処である。

一言に東奔西走といっても、地方においては昭和40年代(1965年 - 1974年)であってもなお、落語に対する理解は低く、米朝が高座に上がって落語を始めても、客からは「何を一人で喋ってるんだ? 遊んでないで早く落語を始めろ!」と野次が飛んでくる有様だった。地方ではテレビの『笑点』でやっている大喜利が落語であると、その程度の認識であり、その苦労は並大抵のものではなかったのである。


まさに、「上方落語復興の祖」と言える。

また、米朝師のすごいところは、「落語家」としてだけでなく、矢野誠一さんも言っているが
そんじょそこらの、中途半端な演芸評論家に勉強して頂きたいくらい、「演芸評論」が優れている
ことである。

演者として超一流であることは、万人の認めるところですが、落語をはじめとした演芸関係の文献・資料の研究家としても第一人者。

米朝ばなし―上方落語地図(文庫、講談社、1984年11月)→最近再文庫化に
米朝・上岡が語る昭和上方漫才(単行本、上岡龍太郎との共著、朝日新聞社、2000年6月)
米朝よもやま噺(単行本、朝日新聞社、2007年12月)

など、楽しい本がたくさんあります。

あの司馬遼太郎さんに、「米朝さんは凄い!」と言わしめたほど。

米朝師匠、「上方演芸の殿堂入り」おめでとうございます。

いつまでも、お元気で、後進に「米朝よもやま噺」を聴かせてあげてください。
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Author:創塁パパ
落語大好き(特に柳亭市馬・古今亭志ん五・桂米二・古今亭志ん朝)
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JAZZ大好き(特にクリフォード・ブラウン・レッド・ガーランド・アート・ペッパー・シダ―・ウォルトン)
戦国武将大好き(特に大谷吉継・石田三成・直江兼続など西軍好き)
横浜DeNAベイスターズの大ファン!!!
創塁(つくる)パパです。
9歳。小学校3年生
やんちゃ坊主の父です。
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