日経新聞の夕刊。一週間、柳亭市馬「こころの玉手箱」より。

以下、所感

初日
相撲好きになったのは、祖母の影響。柏戸のファンであった。
市馬は、ガキ大将で友達と相撲をとっても一番強かったらしい。
落語家になってからは、先代小さんが「千代の富士」ファンで
いつも、千代の富士の勝敗をチェックさせられていたようである。
最近の相撲の楽しみは「行司」。品格ときびきびとした動きが
楽しいらしい。呼びだしも好き。
どおりで、市馬の「相撲」が出てくる噺は楽しいわけだ。

二日目
談志には可愛がられていたよね。昭和歌謡にくわしかったしね。
「哀愁列車」を小2で歌っていたらしい。ませた子だね。
でも、先生からも可愛がられた。
人前で、芸をやる「快感」の始まりだったようだ。
三波・春日・岡もレパートリー。父上も「歌好き」であった。
市馬の「歌」をとやかくいうひともいるが、「芸は」身を助けるだと思うよ(笑)

三日目
落語に興味を持ったのは、先代の今輔師匠だそうだ。「おばあさん」の今輔(笑)
懐メロ同様、書いて覚えて、「披露」したそうだ。円右の新作も覚えたらしい。
小さん、円生を好んで聴いていたようだ。「かぼちゃや」や「粗忽の使者」など
十席は覚えていた。剣道部の「余興」でも披露。
剣道が、「落語家」になるきっかけ。剣道の先生の先生が小さんと知り合い。
小さんは、サインを頼まれるといつも色紙に「水墨画」を描いていた。
定番は「たぬき」の絵。市馬も是非「たぬき」を得意にしてほしいものだ。

四日目
小さんとの稽古と言えば、もっぱら「剣道」 地方の剣道會に師匠が呼ばれること
も多く、二人分の道具を担いでの「お供」は大変だったようだ。
そんな師匠に、ほめられたのは、二ツ目時代の「新宿末廣亭」
師匠がトリだったときに、手違いでひとつ前の出番の「落語家」が来ない。
代演の機会はなかったので、後輩から着物を借りて、小噺。
それから、海老一に教わった「深川節」を((笑)
軽く踊っておりたら、師匠が気に入ってくれて、しばらく「ほめて」くれたらしい。
微笑ましいエピソードですね。

千秋楽
子供の頃、生の「歌舞伎」はさすがに見る機会がなかったようだ。
二ツ目になって、十二代目の団十郎の襲名披露公演を3カ月。昼夜見た。
そこで、脇役の味わいにはまる。二ツ目時代は、苦しかったが、ラーメン一杯を
我慢して「歌舞伎」を見たという。いい勉強だね。
落語のためと思ってみていた訳ではないという。でも、自然と舞台での「役者」の
動き、会話のシーンが落語の「組み立て」に役に立っているんだよね。

まとめ。若手の「落語家」もどんどん勉強してほしい。

市馬は、後10年くらいして「枯れて」きたらもっと楽しみなような気がする(笑)

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