久しぶりにともさんと、食事。

春場所は、5勝2敗で、来場所は幕下の30枚目代にあがりそうです。

膝の状態はまだまだですが、徐々によくなってきています。
体重も、15キロほど落したそうです。

一歩一歩。まえに進んでいます。十両復帰へ。
楽しみです。

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つくるのリクエストで警察博物館へ。

結構見どころ満載。
楽しかったですよ。

1階 ピーポくんホール
2階 人と街をともにまもる
3階 事件・事故を解決する力
4階 首都をまもる 警視庁の今とこれから
5階 警察のあゆみ
6階 イベントホール 

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落語好き仲間と、ベイスターズの昨年の「日本シリーズ」出場祝いを。
桜木町の「鳥伊勢」にて。
Sさんの「リクエスト」で当日は「リレー落語」を披露。
落語好き先輩のKさんが前半、 私が後半でした。
いやあ、難しい「噺」ですよ。

以下あらすじ(ウィキペディアより)

ある冬の晩、番太が年末休みのため(東京では「番太だけでは心もとない」というので)、防火のための夜回りを町内の旦那衆が代わりに行うことになった。番小屋に集まった旦那衆はふた組に分かれ、最初の組が夜回りに出る。

危機感のうすい旦那衆は、厳しい寒さに耐えかねて横着をきめこみ、手を出したくないので懐の中で拍子木を打ったり、冷えた金棒を握りたくないので紐を腰に結わえて引きずって鳴らしたり、提灯を股ぐらに入れて暖をとったりする。「火の用心」の掛け声を試行錯誤しているうちに謡のようになり、新内節のようになり、端唄をうたっていくうちに、遊び自慢の雑談になってしまう。

組が交替となり、最初の組が番小屋で火鉢を囲んで暖をとっていると、ひとりが栓をした一升徳利(ふくべとも)を出してくる。中には酒が入っており、皆に勧める。夜回り中の飲酒は禁止されていたが、「これは風邪の煎じ薬だ」と皆でうそぶき、燗をしてこっそり飲む。「苦い風邪薬の口直し」としてししの身、味噌、焼き豆腐、ネギなどが用意され、しし鍋を作るに至り、即席の酒宴になる。

その時、番小屋を管轄している廻り方同心が、外から小屋のにぎやかな声を聞きつけ、「番! 番!」と呼ぶ。酔っ払った旦那衆は最初「野良犬が吠えている」と勘違いしたが、戸を開けると侍だったために大きくあわてる。旦那衆のひとりは火鉢の鍋の上に座って鍋を隠すが、酒は隠しきれず、同心にただされる。旦那衆のひとりが「これは酒ではなく、煎じ薬だ」と言うと、同心は「身共もここのところ風邪気味じゃ。町人の薬を吟味したい」と言って酒を口にし、「うむ、結構な薬だ。もう一杯ふるまわんか」。結局同心は鍋も目ざとく見つけ、鍋も酒もすっかり平らげてしまう。旦那衆が「もう煎じ薬がない」と告げると、同心は、

「しからば、いま町内をひと回りしてまいる。二番を煎じておけ」

古今亭志ん朝の「大須演芸場」での音源を頼りにしながら、「学習」しましたが、まあできは50点かな。
私は。   Kさんの方が「断然」上ですね。

でも、リクエストいただいた、Sさんからは「評価」を頂きました(笑)

次の、お題は「子別れ」 口がすべりました。難しすぎる!!!
Kさんと、合同練習しないと(苦笑)

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子供のころ母の実家が神楽坂だったので、「赤城神社」と
言えば、庭みたいなものでした。歩いて30秒ほど(笑)

そんな、赤城神社も最近綺麗になって昔とは大違いです。
境内に「カフェ」なんてできちゃってますし、少し昔を知るものとしては
残念です。

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つくるも 「一枚」

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お昼は、つくるのリクエストで「おそば」

大阪寿司の「大〆」が閉店して、その後「大〆」が監修しているという
手打ちそば処  かね田 宝庵へ。
お寿司もありましたが、私は「天ぷらそば」

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天ぷらと、別に出てきて感動。そばつゆもうまし。
やっぱり、神楽坂はいいね。
でも、神楽坂下は嫌いです。チェーン店ばかりで(嘆)

正月早々、悲しいお知らせが届いた。

楽天が6日、星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことを発表した。70歳、死因はすい臓がんだった。

最近、少しお体が、弱っていると感じていたが、ドラフト会議には元気なお姿を見せていたのに。

私の、子供時代は、巨人が強くて、その巨人に対する、各球団のエースを頼もしく見ていた。

阪神の 江夏  大洋の 平松  ヤクルトの 松岡  広島の 外木場  中日の 星野である。

いやあ、みんな巨人戦になると、燃えたよね。
あの時の、星野さんの「闘志」はいまでも焼き付いています。

以下、こんなエピソードも(笑) 以下、ウィキペディアより。

1973年10月20日、9年ぶりの優勝を目指す阪神に対し完投勝利を挙げた。しかし星野本人は阪神と優勝争いしていた巨人に優勝させたくないと考え、この試合では「負けてもええわ」「オレの球を打ってくれ」の気持ちで投げていた。しかし、阪神打線は凡打を重ね敗戦し、巨人はV9を達成した(星野自身も、試合途中で髙木守道に「こんなチームに勝たすことはない」とその無気力投球を咎められ、以後は気持ちを入れ替えて真剣に投げたという)

根っからの、巨人キラーであった。

監督になってからの、星野さんは、正直すきではなかった。「強権発動」のイメージが強く「横暴」の印象が強かった。
それでも、中日・阪神と監督を歴任し、「星野ファン」である友人は、中日から阪神へファンを替えたほど。
「男、星野」のイメージは、男には、たまらない「ロマン」だったのだろう。

中日・阪神では日本一になれず、その後五輪監督としても「苦杯」をなめ、なかなか日本一には縁がなかった。

(以下ウィキペディア)
2013年の巨人との日本シリーズでは4勝3敗で日本シリーズ制覇を達成し、楽天初と同時に自身初の日本一になった。66歳でのリーグ優勝と日本一は、2000年の長嶋茂雄を超えるプロ野球最年長優勝記録である。

よかったですね。あの時の笑顔は忘れられないです。マー君の胴上げ投手も。

楽天の監督退任後は、フロントのトップとして、楽天の「戦力補強」に尽力されました。
野球殿堂にもなりよかったです。

70歳は、まだ若い。長嶋さんや王さんがまだお元気でいるなかで、残念としかいいようがありません。

あの、「闘将」はもう見れないのですね。 ご冥福をお祈りします。 安らかに。

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